プロフィール ぐぅーはんストーリー

教えます!【紹介】

これは私の人生ストーリー調に書いたものですが、かなり長編になっていますので時間に余裕があるときにでも読んでいただければ幸いです。

※私の人生の歴史記事ですので単純なプロフィールはこちらからどうぞ。https://www.goohanblog.com/about-me/

第一話 覚醒(10代)

小学生のとき

わたしは小学低学年のときぜんそくで運動ができず、体育の授業は…ほとんど見ているだけ

だから友達と外で遊ぶこともできなくて、毎日TVゲームをするかマンガやアニメを見ているだけ…

変化のない毎日が過ぎていく自分の時間…でした。

そんな自分に小学4年生の夏に転機がきました‼

母親が、ぜんそくの改善のために水泳をさせようと地域にあるプールの当番を引き受けて私の指導をすることになり、ほぼ毎日プールに行くようになりました。(筆者は田舎育ちw)

最初はものすごく嫌だったな~

というのも水に顔をつけることすら苦手で泳ぐどころではなくて、プールに入ってもプールサイドにつかまって歩くのがやっとの状態だったからです。( ノД`)シクシク…

そんな自分を見た母は、私の頭をつかみ上から押しつけてプールに潜らせることで水になれさせようと、何度も繰り返し繰り返しプールに潜らせました。

グハッ、母ちゃん鬼や‼

今に思えば、かなりのスパルタでまわりから見れば虐待しているように見えたかも?(笑)ですが、しばらくしていつのまにか自分で潜れるようになっていて、潜れるようになってからは潜水が楽しくプールの底で遊ぶことに夢中になっていました。

あれ⁇よくわからんけどヤッター!

それから泳げるようになったのはアッという間で、小学5~6年生には地区の水泳大会に出場して表彰台!……とまでにはならなかったものの(笑)決勝まで残ることがあり、あとで考えるとすごい成長だったなぁと思います。

たいしたもんやで~♪(自画自賛)

この出来事から自分が変わっていくようになりました。

すべてが「できない事」ばかりでは無く、やれば「できる事」もあるのだと気づいて…

※ちなみにこの頃の趣味はサバイバルゲーム・TVゲームでした。

中学生のとき

残念な話ですが…、私が通っていた中学校には水泳部がありませんでした。(;´Д`)

とくに興味のある部活も無かったので、部活は美術部(ほぼ帰宅部w)に入って

勉強の方も興味?というかやる気も無かったので成績は中の中、悪いときは中の下でした。

自分で言うのもなんだけど、ひどい有様ですな

しかし中学2年生になって陸上部の顧問から声が掛かりました。

体育の授業での成績が良かったこともありまして、掛け持ちでいいから陸上部に来てみないか?と誘われたのです。(´ε`;)ウーン…

どうしようかなぁ

実は1年生のときに、ある小さな美術の大会で表彰されたことがありまして(本当に小規模な大会ですので自慢にもなりませんが)、そこから美術部が少し楽しくなってきた頃でした。

しかしながら水泳をはじめてから体を動かすことも好きになっていたので、掛け持ちだったらいいかも♫と思い軽い気持ちで陸上部にも入部しました。(軽い気持ちで選択した話1回目)

このことが3年生になって影響するとは知らずに……。( ゚д゚)ハッ⁉

3年生のとき結構たいへんだったんだよね~

なにが大変だったのかと言いますと…

どうしてなのか今でもわかりませんが、まわりから推薦されて学校応援団長になったのに加えて、部員の投票で陸上部部長までやることになってしまいました。

自慢話ではなく、両方ともホント~にやりたくなかったので決まった時は最悪な気分でした。

もー、ホントにサイアクだー

このことから3年生の一年間、私から先生に対して団長と部長を取り消して欲しいと不服申し立てに始まり、逆に学校側から応援団や陸上部について理不尽なことを言われれば対立するなど、先生対話することが増えてしまい非常にめんどくさ~い一年間でした。(-_-;)

で・す・が…

実家が自営業だったこともあって、普段からお客さんや関連業者のおとなの人と会話することが結構ありましたので、先生ともそこそこ対等に渡り合っていました。

この頃の経験が、私の会話力につながっていると自己評価ですが思います。

どんなことでも経験はムダじゃないね

※ちなみにこの頃の趣味はギターとスキーでした。

高校生のとき

高校生になってから中学時代の反動で、学校の事はほぼ無関心になりました。(笑)

しかし高校生のときに、私の人生でいちばん夢中になったものに出会います。

そ・れ・は…

オートバイに乗ることで~す。(それほど溜めて言う事でも無いですが💦)

バイク、サイコー‼💖

生まれた月に恵まれてたのもあって高校入学してからすぐに原動機付自転車免許を取り、50ccのバイクで山道を毎日のように走り回っていました。

きっかけは自分よりも年上の友人に誘われて、カーブの多い山道でバイクを走らせることの楽しさを教えてもらったことからでした。

その節はアリガトウございましたー

当時16歳の自分がなぜ夢中になったかと言うと、ひとつは田舎ということもあってそれまではバス・電車や大人達が運転する車に乗せてもらうことでしか遠出の外出は出来ませんでしたが、自分だけで好きな時にどこにでも行けることが感動的だったこと。

それに付け加えバイクは2輪車特有のバランスで乗る乗り物ですので、自分が上達していくことが感じられ自分の思い通りに走らせることが出来た時は気持ち良く、それこそ人馬一体という言葉通りに操れるようになった感触は衝撃的で一種の快楽でもありました。(勘違い?かもですがww)

羽が生えたみたいで毎日が楽しかった♪

※ちなみにこの頃の趣味は…当然バイクです。

専門学校のとき

高校卒業後、地元から離れて大阪の専門学校に進学しました。

実のところ高校時代にバイク以外にやってみたいことが思いつかず、本当はバイクレーサーになれたらいいなぁと思っていたのですが…

当時はインターネットなんてものは無く、どこに行けば良いのか?誰か頼れる人がいないか?何をどうしたらいいのか?全く解らず、なにも出来ずにいました。

ホントに何も知らなかった

その状態で高校卒業が迫ってきていて、なにかしらの選択を決断しなくてはならない状況に…

と、そこでわたしのとった行動は全く興味の無い専門学校への進学でした…。(´・ω`・)エッ?

なんでやねん!(自分だけど)

なぜ?そんな専門学校に行ったかというと私には兄がいまして、その兄が行っていた学校で自分でもその仕事だったらできるのではないかと軽い気持ちで決めて行く事にしてしまいました。(軽い気持ちで選択した話2回目)

そんな軽率な判断で決めた進学でしたので専門学校卒業後、仕事に就くも自分自身に全く合わず

すぐに辞めてしまいました…

だろうね…(自分だけど)

どうしようもないですが他に行く当てもなく実家に帰省しました。(T_T)

※ちなみにこの頃の趣味は…やっている場合では無かったです。(T_T)

第二話 迷走(20代)

20代前半

見出しの迷走って、専門学校からやん!

というのは横に置いときまして

置くのんかーい!

実家に帰ってからは、しばらく自営業の手伝いをしていました。

でもその自営業は全く継ぐ気がなかったことから、就職先を探して…

地方の乳製品メーカーに就職します。

今度は大丈夫かな?

そこでわたしは配送兼営業をしていました。

2トントラックでしたが乗り物の運転は好きですし、人と話すことも好きなので自分に合った仕事でした。

それに加えてこの会社のやり方が、決められたエリアのみですが自分の裁量で仕事をさせてくれる会社でしたので、自由で最高とまでは言わないですが(笑)

わたしにとっては合った仕事で、毎日を私生活も含めてそれなりに楽しい日常を過ごせていました。

よかった~!

しかし…突然、それなりに楽しかった日常が終わりを迎えます。

なんだ?どうした?

つづきは後半へ…

後半かよ!

※ちなみにこの頃の趣味はバイク・車・ナンパ?です。

ナンパは何と言われようが趣味ですよ。( ー`дー´)キリッ

20代後半

乳製品メーカーに勤めてから6年半が経過したころに

自分が働いていた営業所に社長が来る話が…

なにか問題でも?

6年半勤めて初めて社長が営業所に来るのですから、何も無いなんてことは考えられません。

わたしは直感的に悪い話だと容易に想像できました。

まぁ良い話だったら、わざわざ社長が来る必要が無いもんね

同僚は理解できない人もいましたが

社長が営業所に来てまで言った、その内容とは…

経営上の理由から営業所の仕事を外部委託にして、社員には希望退職か委託会社に移動、もしくは本社勤務といった内容の話でした。(ようは営業所の閉鎖ですね)

やっぱり悪い話だったか~

あれ?でも本社勤務ってのは⁇

本社勤務は聞こえはいいかもしれませんが内容としては

給料は下げられ仕事も雑用、尚且つ勤めていた営業所から本社までの距離がクルマで2時間以上かかり自宅からだともっと遠く、引っ越してまで勤める内容では全くなかったことから

事実上は解雇といった感じでした。

結局はリストラか~

(このリストラで社員の半数が退職しました。)

乳製品メーカーをやめてから1~2年、派遣会社などで生活費を稼ぎながら次の就職先を探していましたが思ったような仕事が見つからなかったです。

理想の就職先なんて、そんなにある訳ないだろうね

その後…、半ばやけくそな感じで運送会社に就職しました。(これも軽い気持ちで選択した話3回目)

あらあら、まぁまぁ

運送会社の仕事は、先に言うと3年で辞めてしまうのですが…

仕事内容が嫌いな訳でもなく同僚ともそれなりに上手くいっていたのですが、肉体労働で長時間労働でもあったことから身体的に続けることが困難(私個人として)で、

あと数年続けられたとしても定年までは、とてもじゃないけど無理だと判断して自主退社しました。

体をこわしてまで、やる事でもないしね

しかしこの運送会社にいた期間中に結婚をしていまして…

退社後に妻からのプレッシャーがあって、仕事を辞めたあとの方が精神的にかなりきつい思いをしたことを今でも覚えています。

うわー!怖い、怖い、怖い、怖い、こわいよー!

その後しばらくしてから妻が見つけてきた求人に応募するのですが、続きは30代へ

※ちなみにこの頃の趣味はバイク・カラオケ・飲食・凧でした。

第三話 平穏(30代)

仕事について

30歳になって妻が見つけてきた老舗の地元企業に就職しました。

とは言ったものの従業員数20人弱の零細企業です。

この会社は老舗だけあって企業体質も古風なままで、日本によくある変化を好まない感じで新しいことをなかなか取り入れられない会社でした。(あくまでも個人的な見解として)

就職できたんだから、良しとしましょう

入社時にこの会社は営業と配送で各1名の募集をしていて

わたしは過去の経歴からどちらでもかまわないことを伝えてありましたが

会社としては、どちらにしてもまず配送から始めて取引先を覚えてからという事でしたので、しばらくは配送をしていました。

この会社の配送は運送会社の時に比べたら半分以下にもならない仕事量だったこともあって、私としては…かなり楽でしたのでこのまま配送でも良いなと思っていました。

マヒしてるかも?だけど

経験したもの以下だと、楽に感じるよね~

しかもわたしのあとから営業を希望して入ってきた人がいたので、自分はこのまま配送だなと

これは配送のしごとにカクテイじゃない⁉

本当に配送でも良いなと思っていたのですが…

あまり人の悪口は言いたくありませんけど、その営業希望で入った人が全く仕事にならなくて簡単な配送の仕事でもミスが多くて

しかも車の運転も苦手で取引先での事故やトラブルもあって

第三者から見ても正直に言えば営業どころではない状況だったことから、わたしの方が営業として仕事をすることになってしまいました。

どちらでもいいって言ったのは自分だし、しかたないね

ここでの営業は、おおまかな担当先は決まっていましたが結構自由に仕事をさせてもらっていて、売り上げさえあげていれば自分の裁量で活動できて日常の仕事は、とくべつ不満もなく取り組んでいました。

不満が無いんだったら、よかったじゃん

しかしながら先にも言ったように昔ながらの古風な会社ですので、前例がない事案には過度に抵抗感がありまして…

新しいタイプのアイデアや基本的な取り組みの変更、取引先からの要望にあわせることなど

すべてでは無いにしても実行に移すことが難しい状態でした。

なんにしても保守的なんだよね~

このことからほとんどの従業員は新たなことを考えることも無く、問題が出てきてからの対応のみで変わったことはせずに例年通り・通常通りの仕事をしていました。

ただし私はというと重大なことは別ですがたいしたことでなければ、ほぼ事後報告で行動していまして時には怒られることもありましたが結構好き勝手にやってましたね。

やっちゃてる~

なぜそんなことをしていたかと言えば、売り上げが落ちる方がもっと悪いし

実際のところ業界的にも衰退している業種でしたので、ふだんどおりでは売上自然に減少していく状況でやらざるを得なかったと…いま思えばそんなことだったと感じます。

でもこの行動のおかげで売上げ落とさずにいたんだよね

まぁ会社についての文句は山ほどありましたが(笑)

大事件なんてこともあったわけではなく…

細かく言えばいろいろとアクシデントなどはありましたが(笑)

ほぼほぼ日々変わらない毎日を送れました。

それなりに順調だったってことですな

私生活について

30代になってから地域などのイベント祭りに複数参加するようになって

自分自身が率先して活動に加わっていたので、これについては結構楽しかったですね。

ただ参加しただけでは楽しくなかったかもね

その他にも子供が大きくなって学校の行事などが増え

それに加えてバイクなどの以前から続けていることがあって

休むヒマがない…

ってほどではなく、じゅうぶんにヒマもありましたが(笑)

一年を通して、かなり充実した生活をしていたのだと後々に振り返ってみるとそう思いました。

やっている時はそれほどいっぱいだとも思わなかったけどね

※ちなみにこの頃の趣味はバイク・凧・日本酒・料理です。

第四話 激動(40代)

序盤

突然ですが12年間勤めた老舗企業を退職しました。(;゚Д゚)ェェーッ

くっ、狂ってやがる

どうしてなのか?知りたい?

いいから教えなさい!

では理由を説明いたします。

辞めた理由は周辺の変化によって私自身では改善できない状況になったからです。

はぁ?…それじゃあ、わからん

そうでしょうね

なんだよ、そうでしょうねって

すみません、ちょっと言いづらかったもので…(;^_^A

先ほど言ったように周辺の変化が辞めた原因なのですが

読まれているあなたのまわりでも他の誰かのまわりでも起きている事ですが、何年も時間が経過したら理由はどうあれひとの入れかわりは少しずつでもあると思います。

わたしが勤めた会社も例外なく入れかわりがありました。(12年もいたら結構変わります)

そして会社では役職も変化していきますよね

わかってると思いますが役職は上の方ほど決定権があります。

そりゃそうだろうね

30代の仕事についてでも少し話しましたが、この会社の体質は日本によくあるタイプです。

簡単に言うと保守的ですが、その会社の中でもいちばん保守的でいちばん支配者タイプの人がいちばん上になったとしたら…

しかも会社の業績や業界的にも落ち込んでいるのを考えたら…

っと、これ以上は言えないのであとはご想像にお任せしますが

このことが原因で辞めてしまいました。

はっきりとはワカランと思うけど、しんどかったね

ここで辞めた話は終わりにして次に行きましょう。

展開、早やっ

辞めてすぐに再就職しましたが半年でそこも辞めました。(軽い気持ちで選択した話4回目)

懲りてなかったね(笑)

その後、仕事を探していましたがなかなか上手くいきませんでした

でも流石にもう軽い気持ちで就職したくなかったので慎重だったこともあって(笑)

ゆっくりと活動していました。

あわてても良いことないしな

それから3~4ヵ月経った頃に大きな問題にぶち当たります。

なに?大きな問題って⁇

結果から言いますと病気になりました。

中年男が無職で病気ってヤバいな

本当にヤバくて、過去に亡くなったふたりの親友が迎えに来たと思うほどでして…

精神的にもかなりナーバスになりました。

それでカラダは大丈夫なのか?

病院に行ったらクスリの治療で1~2年で良くなるだろうとのことでした。

まぁそれでも最悪なことにならなくて良かったね

それからしばらく自宅療養に…

復帰・再開(40代中盤)

体調が完全回復とまではなってませんがボチボチ復帰

でも復帰までに1年間もかかってしまいました。(´;ω;`)

でも復帰できたんだから良かったよね

病気になって人生の終わりを迎えそうになりましたが、逆にこの経験から自分の人生をもっと深く考えるようになりました。

自分は、いったい何をしたいのか?

自分は、いったいどうしたいのか?

自分は、そもそも何がうれしいのか?

自分の喜びってなに?

っといったことがわたしの頭の中でグルグルと駆け巡ってきました。

走馬灯のようにって、こんな感じかな?(違うかw)

私は…、チャレンジすることが好き、会話することが好き、考えることが好き、活動することが好き、面白いことが好き、人間が好き、ひとの笑顔が好きです。

そんな感情から会社員ではなく自営業チャレンジすることに決めました。

このブログを始めたきっかけも、この感情からやってみようと思ったからです。

むずかしいかもだけど、やってみよう

今後どうなるのかはわかりませんが、自分の人生をできる限りエンジョイしていこうと思います。

これで現在までのプロフィールは以上になりますが

このブログでは私自身の経験や調べたことで読まれているあなたアドバイスになって、すこしでもあなたの人生楽しくなるきっかけになれればとの願いで製作していきますので、よかったらフォロー・シェアしてもらえたら幸いです。

仕事や人生の経験、趣味などをもとに作っていくのでよろしくで~す

私は私の人生をあなたはあなたの人生を楽しみましょう

Enjoy life、Enjoy your life ‼

それではまた。

※今後また展開があれば追記していこうと思いますのでよろしくお願いいたします。

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